『+−=○ tubuyaki展』

こんな話を聞いた事が

 「短い文章で心情を表現する、そんな文化が日本にはある」

実は「つぶやき」というのも
その文化に則ってるのかも、と

短い表現だからこそ、より自分の心情を込めて
「つぶやき」が発せられるんじゃないかな

心情が込められている、だからこそ
読み手を惹きつけ、新しい心情を湧き出させるチカラがあるんじゃないか、と

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写真を拡大 今回の展示では、パネルへの「つぶやき」の他に
PLuS+ Finalメイン会場にて記載頂いたTシャツも展示されました

壁や天井に吊るされたTシャツとそこに書かれた「つぶやき」
吹き抜ける風に揺られるその「つぶやき」は、一所に留まるものではなく
自発的に「つぶやき」を届けようとしている様に見えました

その気持ちが通じたのか、来場の方々も「つぶやき」に触れ
新たな「つぶやき」を残してく姿が印象的

もしかしたら「つぶやき」をパネルに残さなくとも
自身の中で「つぶやいていた」かもしれませんね

一度全てのパネルを見た後に
とあるパネルの前に戻り、立ち止まり
一度見ていた時よりも長い時間眺めている姿は
きっと
自身の中で「つぶやいていた」のでしょう

毎日distaでの展示を眺めることができていると
増えた「つぶやき」が何かわかるんじゃない?
と思われるかもしれません

実は…、どの「つぶやき」が増えたのか全然知らない状態でした

もちろん、パネルの余白が少なくなるのは分かるので
『増えている』ということは日々感じていました

自分自身が、「知らない」状態ではなく「知りたくない」状態だった、
というのが大きな理由でしょうか

一つ一つの「つぶやき」のみに焦点を当てず
用意されたテーマに対してのスタッフが準備した「つぶやき」
それに対し、どのような気持ちで「つぶやき」をパネルに残したのか
また、新たに残された「つぶやき」をどのように受け止めて
さらに「つぶやき」を残したのか

そういった気持ちの繋がりを感じたくて
自分がパネルを見る時には、改めてパネル全体の「つぶやき」を見ていました

そこから気付いたのは、人に響く言葉とは、
その人に対等に向き合った時の素直な言葉なのかもしれない、と

だからこそ、パネルと向き合った時に
色々と感じ、考えるんだろうな、と
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写真を拡大 一日が終わり、distaの照明を落とす

この一日にどれだけの方に気持ちが届いただろう
そんなことを想いながら

情報は至るところから発信され
新しい情報がはいることで
今までとはまた違った心境になることも、きっとある

それならば
また展示に脚を運んでみると
変わる印象も、より深く感じる「つぶやき」も、初めて見る「つぶやき」も
パネルにあるかもしれない

そんな期待を胸に

一日が終わり、distaの照明を落とす

そんな日々


MASH大阪 dista
炬秋人

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